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徳川家康が築いた江戸城の堀の石垣の秘密とは?

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徳川家康が入国した当時の江戸城は荒れ果てていたようです。
家康は、積極的に城と城下町の建設を進めていき、内郭、外郭を造ります。内堀は平川、千鳥ヶ淵、局沢の地形を利用したといわれています。
江戸城が日本の城の集大成といわれていますが、そのひとつである石垣の秘密を調べてみました。

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江戸城の石垣

江戸の地質は関東ローム層のため、理想とする石がなく、別の地域から調達しています。

江戸城の石垣の産地

多くは伊豆半島・・・硬質な安山岩(あんざんがん)、色は黒い石
一部は瀬戸内海・・・花崗岩※御影石(みかげいし)白い石、
そして房総半島、紀伊半島からも運ばれました。

江戸城の石垣の個数

運ばれた石の数は100万個は超えているようです。

石垣の石の調達方法

海路を使い調達されました。

石の加工の仕方

石の加工法は、古い順番に野面積み(のづらづみ)、打込接(うちこみはぎ)、切込接(きりこみはぎ)の3種類です。

江戸城の石垣の多くが、打込接か切込接です。

打込接の石垣は、徳川家康が江戸城改修を始めた慶長11年(1606)頃のものです。
東御苑の入り口である北桔橋(きたはねばし)、苑内の白鳥濠などの石垣です。

打込接(うちこみはぎ)とは?

隣り合う石のすき間を減らすために、角や面をタガネなどで叩き、平たく加工したものです。
それでも隙間ができるので、間詰石(まづめいし)で丁寧に隙間を埋めてつくられています。
16世紀後半の近世城郭で多用されています。

野面積みより高く急勾配が可能です。

切込み接ぎ(きりこみはぎ)とは?

切込み接ぎは、方形に成形した石材を密着させて積み上げていく方法です。
敵に登られにくいという特徴があり、整形された積み方です。
見た目も美しく壮観です。
江戸時代初期以降、多用されるようになりました。

2021年4月13日に400年前の石垣発見!

皇居内の建設工事に伴う発掘調査の現場で、江戸城の石垣が見つかりました。
今も残る江戸城の石垣としては、最も古い江戸時代初期のもののようです。
戦国時代から江戸時代へと変わる歴史が感じられるようです。

石垣は、おおよそ幅16メートル、高さ4メートル、7段に石が積み上げられています。
江戸城の石垣とは異なり、乱積みという技法です。

乱積みとは、石の表面や接合面を平らになるよう加工し、大小の石を積み込んでいく技法です。

まとめ

江戸城は日本の城の集大成といわれています。日本一美しく現存する天守閣の姫路城に似ていて、
天守の大きさは姫路城の1.5倍、広さは約10倍のようです。

再現することは無理なのですが、実際のものを見てみたいですね。

江戸城の石垣のことを調べていますが、まだまだ書きたいことがありますので、このページで追記していきたいと思います。

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