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オホーツク文化人とは?どこから来てどこへ行った?特徴と遺跡[2020.10.31ブラタモリ]

2020年10月31日(土) 19時30分~ブラタモリ「網走~“最果ての地”網走は“理想の地”!?~」が放送されます。
網走は古代北方民族にとっても理想の地だった!「オホーツク文化」のことも紹介されるので、調べました。

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オホーツク文化とは?

5世紀から13世紀頃(約800年間)、オホーツク海沿岸を中心に、サハリン南部から北海道北海岸、樺太、南千島のオホーツク沿海岸部に栄えた海洋漁猟民族の文化です。

五角形や六角形の大きな竪穴式住居で生活をし、独特の文化をもっていました。

オホーツク文化遺跡-住居

同時期の日本の北海道にあった続縄文文化擦文文化とは異質の文化です。

北海道史年表

続縄文時代

※続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)とは、北海道を中心に紀元前3世紀頃から紀元後7世紀(弥生時代から古墳時代)にかけて、擦文文化が現れるまで続いた時代です。

擦文時代

擦文時代(さつもんじだい)とは、7世紀ごろから13世紀(飛鳥時代から鎌倉時代後半)にかけて、北海道で栄えた時代です。 本州の土師器の影響を受けた擦文式土器を特徴とします。

オホーツク人(モヨロ人)はどこから来てどこへ行った?

今から約1300年前、北の大陸から、網走の地にムラをかまえました。
高い航海技術と海獣狩猟や漁場の技術を持っていたので、オホーツクの豊かな海の恵みのおかげもあり、それまで北海道では見られなかった「オホーツク文化」とよばれる独自の文化が発達しました。

オホーツク人、アイヌ人 ルーツ

そして長く栄えたオホーツク文化は10~12世紀頃に北海道の擦文文化と接触したため、姿を消していきました。・・・とされていました。

ただ消えていったとされる説もありますが、DNAなどを調べると、オホーツク人は、アイヌ民族にかかわった集団もいたということがわかりました。

縄文人の核ゲノム解析から見えてきた日本列島人の成立ち

出典:縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html

オホーツク文化の特徴

オホーツク文化は、少数民族のニヴフ(ギリヤークとも呼ばれている)から樺太南部で始まった文化で、特徴は、北方民族の生活スタイルを継承していて、北東アジアの影響を受けていると考えられています。

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オホーツク文化の遺跡?

遺跡が主としてオホーツク海の沿岸に分布しています。

「モヨロ貝塚」http://moyoro.jp/publics/index/8/
網走市に最大の遺跡があります。網走川の河口に位置する遺跡です。

この遺跡の発見がきっかけとなり、それまで知られていなかった、オホーツク人と呼ばれる人々の存在が判明。道内にもオホーツク文化の存在が認められるようになったのです。

「常呂遺跡」

「モヨロ貝塚」の隣町の北見市常呂町

「目梨泊遺跡」

枝幸町

「オムサロ遺跡」

紋別市

DNAで比較-アイヌ人、日本人、縄文人、琉球

「縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く」によると
神澤秀明(国立科学博物館)

現代日本列島3集団と縄文人の比較
現代日本列島人と大陸の東アジア人の比較

現在の日本列島に住む私達は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球に分かれます。

それは、日本列島人の大規模なDNA解析が行われた結果からも、推測できます。

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