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仙台「杜の都」の読み方は?意味と由来も

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宮城県仙台市は「杜の都・仙台」として知られています。
なぜ「杜の都」なのでしょうか?読み方や意味、由来を調べました。

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仙台「杜の都」の読み方は?

「杜の都」は「もりのみやこ」と読みます。
馴染みのあまりない「杜」の読み方は
音読みだと「ト・ド・ズ」
訓読みは「もり・やまなし」
です。

仙台「杜の都」の意味は?

仙台市の明治42年の観光案内には「森の都」と記されていました。
しかし、昭和になって「杜の都」と表すようになったようです。

「杜」は神社の社ではなくて、木へんに土と書いて、杜です。
訓読みの「もり」は森のことです。
杜と森の意味の違いはないようです。

ただ杜は、山などに自生する樹木や草花だけでなく、そこに暮らす人々が、育てた豊かな緑のこと。
人工を含むか自然に気が茂ってできたものの違いがあると一節では言われています。
これも根拠の説明はないようです。

また杜は「閉ざされた」という意味もあるので、神社がある神域の木立の意味もあるのでは?と言われています。

杜を「もり」の意とするのは日本独自です。
中国での意味は「(果樹の)やまなし、塞ぐ、閉じる」です。

塞ぎ絶つことを「杜絶」といいます。
日本では、戦後の書き換えで「途絶」に改められました。

日本における杜の字の起源については諸説あるようです。

①日本の杜は国字で、漢字の杜をではない、というもの。

②誤読説。「もり」は神の来臨する所と考えられていて、「神社」「社」とも表記された。
この「社」を誤って「杜」に「もり」の訓ができた。

※明確な記述はないようです。

「杜の都」 仙台の由来

仙台のまちが江戸時代に築かれてから約400年です。
伊達政宗(だてまさむね)により、城下町の屋敷林が奨励されたことが由来です。

仙台市-伊達政宗公の銅像

屋敷内には飢餓(きが)に備えて,栗・梅・柿などの実のなる木を、そして隣りとの境には、杉を植えるように奨めました。
屋敷林とお寺や神社の木々、広瀬川の河畔や青葉山の緑が一体となり、仙台はまち全体が緑に包まれていました。

明治42年には,「森の都」として仙台の観光案内書に記されています。
昭和に入ってからは、「杜の都」と表されるようになったとようで、昭和20年の仙台空襲前まで残っていました。

仙台空襲で、市街地が焼け野原にされ、戦後復興の都市計画により、青葉通や定禅寺通りに防火帯としての街路樹を大量に植栽し、現代の「杜の都」といわれるようになりました。

青葉城からの仙台の風景

まとめ

「杜の都」仙台は有名ですが、森と杜が同じという認識がなかったです。
あえて森の都としないで杜の都とすることで、ミステリアスなイメージになります。
杜と都の漢字、読み方も魅力的です。

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